『咲-Saki-』スピンオフ作品第3弾として【シノハユ the dawn of age】が25年9月からビッグガンガンにて連載が始まりました。
原作:小林立、作画:五十嵐あぐりというコンビは先の阿知賀編そのままです。その上で咲や穏乃達とは二つほど前の世代を描くと思われる今作は内容的にも舞台探訪的にも非常に楽しみです。
このコラムでは【シノ観察日記】としてこれからシノハユの舞台探訪や考察記事などを紹介してゆきたいと思います。
(記事作成:26.2.2)
コラムのタイトルは「母を想う」だけど・・・
神話を紡ぐ
『慕』~『慕③』と3話連続で展開されたヒロイン慕の過去と仲間達との出会い。
巻末にカラーページを持ってきたところを見てもこの『慕、上つ巻』というべきエピソードはひとまず区切りのようです。
『シノハユ』という作品は咲や穏乃達が覇を競う「今」から、その魑魅魍魎の魔物達をも凌駕するプロ麻雀師や各校指導者達を神に見立ててその活躍を描く「神話」を紡ごうとしているのかもしれません。
私は咲-saki-という作品群では日本神話や各地の伝承がバックボーンとして織り込まれていると考えており、阿知賀編のコラムなどにその旨を寄せていますので今回は日本神話から見たシノハユについて考えてみましょう。
日本で最初に編纂された歴史書(正史)は『古事記』ですが、これは稗田阿礼という一人の人物に記憶されていた帝紀と伝承その他諸々の事柄を口述筆記して記録・編纂した物だそうです。古事記は今では「国内向けに作られた朝廷PRパンフ」と見られており、十数年後に完成した『日本書紀』が海外向けの格調高い正に史書として編纂されているのとは対照的です。シノハユはこの古事記に当たるのかもしれません、だからそスピンオフ作品でありながら「咲-Saki-」の冠をいただいていないのかもしれません。
ですが神話は過去に繰り広げられた絵空事ではなく「今」に通じ、なにがしかの因果を与えているはずです。例えばレジェンドであった赤土晴絵が阿知賀女子を率いて再びインハイに戻ってくるとか・・・。
英雄神 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
シノハユの舞台となっています島根県松江地域は日本神話の一大聖地『出雲』にあります。そして数多くのエピソードに彩られた出雲の神話の中でも『八岐大蛇(やまたのおろち)退治』のエピソードがまず頭に浮かびます。
高天原を追われた素戔嗚尊(以後、スサノオ)が出雲の地に差しかかると川の上流から箸が流れてくる、上流に人がいると思い遡ると身を寄せ合って泣き合う老夫婦がいます。
スサノオが事情を聞くと「この川の上流の山には八岐大蛇という化け物が住んでいて付近の山里を荒らしいました。私どもはしかたなく自分の娘達を毎年一人ずつ生け贄として差しだして大蛇を鎮めて参りましたが、今日最後の一人を差し出すことになりました。だから泣いているのです」と答えた。生け贄になるのは櫛名田比売(くしなだひめ)という美しい娘で、それを聞いたスサノオは大蛇退治を請け負った。
スサノオは生け贄の場に8つの酒樽を用意させた上でクシナダヒメを櫛に変えて自らの髪に挿して姿を隠した。現れた大蛇は用意された酒樽に8つの頭をつぎ込んで飲み干して酔いつぶれてしまう。その様子を見たスサノオは剣を抜いて近寄り、1頭毎その首を打ち落とし大蛇を退治した。
かくしてスサノオはクシナダヒメを妻に迎え、この出雲の地に住み着き治めたのであった。
・・・以上のように出雲では英雄として語られるスサノオですが神々が住まう高天原では乱暴者として鼻つまみ者扱いでした。
そもそも始祖神イザナミとイザナギの数多くのこの中でも最も尊い三神の一柱とされたスーパーエリートでした。
ある時、父神イザナギから三貴神それぞれに治める国が示されスサノオには海の国を治めよと命ぜられました。しかしスサノオは亡くなった母神イザナミを偲んで自分は根之国(黄泉)を治めたいと申し出、泣き叫びます。その嘆きは凄まじく地上には嵐が吹き荒れ美しい山野はたちまち荒れ果ててしまいました。その様子にイザナギは怒り、スサノオに追放を申し渡します。
追放されたスサノオは最後にせめて姉神・天照大神(アマテラス)に挨拶して行こうと高天原へと向かいます。しかしアマテラスはスサノオが高天原を奪おうと攻めてきたと思い武装をし弓をつがえて迎えました。スサノオはそんなつもりはないと説明し身の潔白を証明するためアマテラスと『誓約(うけい)』を行おうと提案します。
相対した二柱の神は互いに身に着けている物を交換し、アマテラスはスサノオの剣を口に含んで噛み砕き吐き出した息の霧から三柱の女神を生んだ、スサノオはアマテラスの勾玉を口に含んで噛み砕き吐き出した息の霧から五柱の男神を生んだ。
スサノオは自分が清い心の持ち主だから尊い神が生まれたとこの誓約を勝利したとしアマテラスも認めるが、その結果に増長したスサノオは高天原で好き勝手に振る舞い悪逆を尽くす。この様を見たアマテラスは嘆き天の岩屋に引き籠ってしまい世界は闇に包まれました。
このことによりスサノオは高天原からも追放されてしまいます。
地上に下ったスサノオは出雲の国に降り立ちました。すると川辺に箸が流れ着くのを見て上流に人が住んでいると思い遡るとそこに一組の老夫婦が肩を寄せ合って泣いているのでわけを尋ねました。すると老夫婦はこの一帯には八岐大蛇という八頭八尾の化け物がいて田畑や人を襲っており8人いた自分達の娘も毎年一人ずつ食われてしまい今年は残った末娘の番だと嘆いておりましたという。その娘は櫛名田比売(クシナダヒメ)といいたいそう美しかった。クシナダヒメを見初めたスサノオは結婚を条件に大蛇退治を買って出た。
スサノオは8つの強い酒が入った桶を用意させ、クシナダヒメを櫛に変えて身に着けると大蛇の出現を待ち構えた、ヒメの匂いに惹かれて現れた大蛇が8つの酒桶を見つけて八頭をつけて酒を飲み始めた。そしてしこたま飲んで寝入った頃合を見計らって剣にて八つ裂きにしたのでした。その際尾っぽから天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)が出てきたので後にこれをアマテラスに献上した。
かくしてクシナダヒメを妻としたスサノオは須賀の地(島根県雲南市、また安木市という説も有力)に宮殿を構え『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を』という日本最古の和歌を詠むなどしてこの地を治めたのでした。
ここまでのエピソードをまとめると下の表になりますが、大いなる力を持ちながら己の心に心に素直が故に猛神・暴君として描かれますが、反面その剛胆さと勇猛さから英雄神としても崇められれる存在です。
素戔嗚尊(すさのおのみこと) |

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・・・で、これって慕に重なりません?
苗字については『苗字(名字)の読み方辞典』(25年6月に閉鎖になった「名字の百貨店」のデータを引き継いでおられます)から。
ちなみに「飛石」姓は出雲市だそうですが「瑞原」姓は該当がありません。
特に白築姓が雲南市に縁が深い名字ということが印象的ですね。雲南市は揖斐川流域の町村が合併して出来た地域ですが市内にはスサノオと大蛇に関する遺構や伝承が残っています(もっとも東の安木市も伝承地としては有力なのですが)。
原作の小林先生は登場人物の姓や名にも意味を込めることが多いので、この符号は偶然というには出来すぎですね。
やはり私は慕はスサノオのイメージで描かれているのだと考えます。
天津神と国津神
『あまつかみ~♪ くにつかみ~♪ 八百万の神達共に~♪』
・・・はアニメ「かんなぎ」のEDの冒頭ですが、多神教の日本神話においてこの天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)は日本の神々の2大系統で併せて八百万の神として崇められています。
もともとイザナギとイザナミを源とする神々ですが、天上界の高天原に住まうのが天津神であり、地上世界においての土着の神々が国津神と言えます。
天津神の代表はイザナギから高天原を任された太陽神アマテラスです。天津神はアマテラスを絶対の存在とし数柱の側近が秩序だってこれを治めているという感じです。ですから後にアマテラスの命で地上に下ったニニギノミコトのような天孫族と呼ばれる神々も天津神に含まれます。
一方、国津神は多くが地上の自然や地物の精霊で地上の各地に住み着きその土地の守り神となっています。ただ国津神を統べる統一の存在はなく地域ごとに纏まって混沌とした状態です。
そんな混沌とした地上の世界に降り立ったスサノオは、本来は天津神のプリンス的な存在ですがその素行の悪さから追放の身となった為に国津神に数えられます。その出自と英雄神としての活躍はスサノオを国津神の王としてこの混沌を正すには充分なのですが、大蛇退治後はクシナダヒメと須賀の社で楽隠居を決め込んでこれと言った貢献を地上の世界に与えていません。この混沌を正し地上世界を発展するには、数代あとの大国主命(オオクニヌシ)の登場を待たねばなりませんでした。
地上の開拓王・大国主命
大国主命(おおくにぬしのみこと)。「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」他数多くのエピソードを持つ国津神のアイドルにして日本最大の社・出雲大社の主。
『神無月』と呼ばれる11月、出雲大社には全国津々浦々から八百万の神が集まり人の縁を結ぶ会議を行うといいます。それはオオクニヌシが地上の世界を治め繁栄させたという名残なのです。
オオクニヌシはスサノオの息子とか子孫とかの伝承もありますが、その出自は良くわかりません。
いわゆる出雲神話では、最初は数多居る出雲の国津神の一柱で、八十神(ヤソガミ)の末弟であった。もともと兄達からイジメを受けていたのだが、ある日八十神は揃って因幡国のヤガミヒメに求婚したが、ヤガミヒメはそれらをことごとく断ってオオクニヌシと結婚するとしたので兄達の憎しみを買ってしまう。
兄達は共謀してオオクニヌシを二度に渡って暗殺したが、その度に母神の助けで復活します。母神はこのままではオオクニヌシを守りきれないと考え木の国へ逃れさせた。オオクニヌシは追っ手から逃れて更にスサノオのいる根の堅州国(ねのかたすくに 黄泉の世界と同一視)へ向かった。
根の堅州国のスサノオの家である女神と出会います。 スセリビメ、スサノオの娘です。互いに一目惚れした二人ですが、スサノオは野暮なオオクニヌシを醜男として冷遇します。スサノオはオオクニヌシに様々な試練を与えて二人の仲を裂こうとしますが(ぶっちゃけオオクニヌシを半殺しにする勢い)、スセリビメは様々な救いの手を差し伸べてこの危機を脱します。そしてスサノオが気を許して寝入った隙を見て二人して駆け落ちを図ります。
スサノオの大刀と弓矢、スセリビメの琴を持ち、スセリビメを背負って逃げ出した二人を気付いたスサノオが追いかけます、・・・が地上との堺にある黄泉比良坂(よもつひらさか)に至った二人を見て追撃を諦めて二人に声を掛けます「お前が持つ大刀と弓矢で従わない八十神を追い払え。そしてお前が大国主になって、スセリを妻として立派な宮殿を建てて住め。コノヤロー!!」・・・と。
地上の世界に帰り着いたオオクニヌシはスサノオの言葉通り八十神を追い散らして、そしてスセリビメを正妻にして、宇迦の山のふもとの岩の根に宮柱を立て、高天原に届く様な立派な千木(ちぎ)のある新宮を建てて住み、国づくりを始めた。
地上の国(葦原中国)での国造りは少名毘古那(スクナヒコナ)や大物主の助けを受けて順調に進みます。しかしその事業が軌道に乗った頃、地上の国を揺るがす大事件がおこります。世に言う『葦原中国平定』もしくは『国譲り』です。
豊かな国となりつつある地上の国の状況に高天原では「葦原中国を統治すべきは、天津神、とりわけ天照大御神の子孫であるべき」との意見が大勢を占めるようになった。これを受けアマテラスは何度か天津神を地上に遣わして地上の国をその支配下に治める工作を行うが、オオクニヌシのもとに遣わされた神達はことごとくオオクニヌシの部下になってしまったのでした。
ついにアマテラスは力による併合を決意し、建御雷神(タケミカヅチ)が出雲国伊那佐の小濱に降り至った。タケミカズチは十掬剣(とつかのつるぎ)(別名、布都御魂剣)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り、駆けつけた大国主に「この国は我が御子が治めるべきだと天照大御神は仰せである。そなたの意向はどうか」と恭順を促した。
これに対しオオクニヌシは自分の答えの前に息子達が答えるとした。一人目の事代主神(コトシロヌシ)は国譲りを承知して姿を眩ました、二人目の建御名方神(タケミナカタ)は力比べを挑んだが敵わず逃げだして長野の諏訪湖の畔で降参した。この結果を受けてオオクニヌシは「天に届くような高い宮殿を建てそこに祀る」ことを条件に天津神に下ることを承諾した。その後、約束通り高く壮大な宮殿(神殿)が造営され、オオクニヌシは人々の前から姿を消した。
スーパーアイドル大国主命&はやりん
以上さっとでありますがオオクニヌシの波瀾万丈の物語を振り返りました。
末神から身を起こし様々な神達の助けを受けてスサノオの後継者として地上の国の王となったサクセスストーリーと最後には国を奪われるという悲劇が混在するスーパーアイドル的存在です。
先の慕と同じくシノハユの登場人物がこのオオクニヌシを下敷きにして描かれるとしたら、それは間違いなくはやりんこと【瑞原はやり】でしょう。
小学生の頃から地元では敵なしの麻雀力に加え、誰からも好かれる(例外もあるが)アイドル性からも彼女なんでしょうね。
この後、インターハイ準決勝戦での対局は彼女にとって国譲りとなるのでしょうか?。
またオオクニヌシは名うてのプレイボーイであり多くの女神を嫁に迎えて数多くの子供を設けていたりします。こう考えると彼女の影響を受ける雀士まだまだ沢山居そうです。

閑無はツンデレ?
・・・では閑無は?となりますよね、当然。
慕 : スサノオ
はやりん: オオクニヌシ
とくれば・・・、ちょっと対象が多すぎます。
スサノオはともかくオオクニヌシは奥さんや子の神がかなり居ますし、国造りに協力した国津神も多いですから・・・。
閑無自身の状況を並べると、
① もの凄く負けん気が強い 1番でないと気が済まない
② 勝てないはやりんに対抗心むき出し
③ 努力は惜しまないタイプ
④ ひょっとしてツンデレ?
⑤ 「石飛」姓は出雲市で多い姓(全国でも半分が島根県在住)
⑥ 名の「閑無」は「閑無し」として「充実した人生を送る」という想いからだと思うが、反面「波瀾万丈な生き様」ともとれる。

以上からイメージ的に連想できる神が一柱あります。
須勢理毘売命(スセリビメ)、オオクニヌシの根の国の話しに登場したスサノオの娘にしてオオクニヌシの正妻です。オオクニヌシの後半生は彼女のエピソードと共にあります。
Wikipediaでのスセリビメの解説では『神名の「スセリ」は「進む」の「スス」、「すさぶ」の「スサ」と同根で、積極的な意思をもつ女神の意である。この女神の持つ激情は、神話において根の国における自分の父の試練を受ける夫の危機を救うことに対して大いに発揮されるが、一方で夫の妻問いの相手である沼河比売に対して激しく嫉妬することによっても発揮される。』とありますがこの女神の激情とオオクニヌシを助けた際の気転は閑無に通じるものがあると思います。
スセリビメは聡明な反面、非常に嫉妬深く、前妻を追い出したり、妻問いに出るオオクニヌシに「何処に行くんじゃわれー!」というメール(和歌)を送ったりしますが、オオクニヌシに対するツンデレはずっと続いており、今でも出雲大社で仲良く鎮座されています。またオオクニヌシはスセリビメの助けを得てスサノオに認められ地上の王「大国主」を名乗ることが許されたわけですから、今は敵対していても高校生になる頃には『閑無あってこその瑞原はやり』という関係が出来上がっていると考えるのは楽しいですよね。

上はビッグガンガン2014年2月号表紙ですが、そう考えると意味深なで構図ですね。
「閑無は、はやりの嫁さんだよ☆」って台詞が聞こえそうです。
0局の対局の後、「遅くなってゴメンね~☆」と言いつつ瑞原プロがマンションに帰ると、閑無が「何処に行っていたの!」と食事の支度をして待っているというような後日談が描かれる日がひょっとしたらあるかもしれませんね。 |